子どもがいじめにあったときの親の覚悟

いじめ解決法について以前に記事を書きました。

いじめに悩む君へ いじめを解決する方法

その補足です。保護者向けに書きました。

子どもがいじめにあった場合の保護者の対応についてお話します。

先に要約だけ書きます。

 

1.いじめを交通事故と同じように扱う 

2.保護者が子どもに教育を受けさせる義務を果たせないのは憲法違反

3.親として、子どもを全力で守る覚悟を持つ

 

これが分かれば、読むのやめていただいて結構です。

 

よく理解できなければ詳しく説明します。

 

子どもがいじめにあっていた。

 

これを聞いたとき、子どもを愛している

保護者の方はほど、動揺すると思います。

 

いじめ問題一般と、自分の子どもがいじめられているという問題は、

同じ問題ではないんですね。

 

自分のことは、人間は、冷静に対処できません。

どうしても、動揺して、感情的になります。

 

とりわけ自分の子どもがいじめられていると、

自分の名誉が傷つけられたかのように感じると思います。

 

いじめられていると、泣きながら子どもに告白されたとき

まずは、「いじめられている? そんなはずはない」

「思いすごしや誤解であってほしい」と思うはずです。

ここに、いじめ問題が解決しない深い理由があります。

 

いじめの原因というものが、利害関係ではなく

差別意識につながっているからです。

 

いじめの理由が、「なんとなくむかつく」

「キモい」とか抽象的な理由だとしたら、

それは、差別意識でしかないわけです。

 

これは、非常に嫌な感情を生み出します。

差別意識は、どうしようもなく、穢(きたな)いので人間不信になります。

 

最初はひとりが、面白半分で「キモイ」とかいい出したとしても

クラスメート全員に共有され、増幅された差別意識になると

それが、集団での暴力や、無視などにエスカレートして、

収拾がつかなくなります。

 

 

なぜ、こういう差別意識がが起きるか?

 

これは、私の実体験としていいますが、

子どもが将来に夢をもてないからです。

下り坂の社会に生きているからです。

 

日本が、衰退国家だからです。

 

公立中学は、卒業すれば、進路がわかれます。

子供心に、この進路の分かれ方次第で、

人生が決まってしまうと、本能的に感じます。

 

そして、絶望を感じます。無気力になります。

 

いじめっ子だった、同級生に大人になって問いただしたら、

そのように告白しました。

 

自分の人生の先が見えてしまうんですね。

思春期特有の浅はかさなんですけど、深刻に絶望するんです。

 

その絶望感が、ストレスになり、

差別意識=いじめとしてはけ口を求めます。

 

いじめの理由なんかないんです。

不安から来るストレスを暴力で発散しているだけのことです。

 

思春期の不安定さがが、学校にいじめの無法地帯を発生させます。

 

いじめが解決しないのは、

情けないことに、その無法地帯に、

担任の教師や学校(校長です、要するに)が

介入するほどの能力がない場合です。

 

公務員の教師だって、自分の住宅ローンで精一杯なんです。

 

少しでも稼いで住宅ローンを楽にしたい。

そのために事なかれ主義で、職場をやり過ごす。

 

こんな、教育に関わる資格のない人間だらけです。

 

20代の教員だったらともかく、何年も教師やって

いい年になっても、思春期の子どもの扱いがわからない、

どうしようもない公務員がいるんです。

 

教師じゃなくて公務員です。

公務員の共済制度に依存して生きているような人間です。

 

そういう公務員はやがて報いを受けて

滅びるのでどうでもいいのです。

 

人間として一番のびしろのある思春期に、

人としてゴミみたいな教師に

劣等感を植え付けられる

子どもはほんとに気の毒です。

 

 

そんな教師は、本人が劣等感にまみれて

生きてきた、しょうもない人間で、

そもそも、教壇に立つ資格もないですから

そんなのに習っていたら、人間の愛なんかわかるわけありません。

 

だいぶ熱くなってしまった。

(そうじゃない立派な先生もいるでしょうけど、

まあ、公立校にはほとんどいないでしょう。

その問題は、教育行政、ひいては政治的な課題です。)

 

 

いじめが、解決しないままだと、被害者(いじめられっ子)にとっては、

学校に行って授業をうけるのが困難になるような精神的苦痛になります。

 

こうして、いじめが放置され、自殺など深刻なケースにつながるのです。

 

保護者が学校に訴えても、いじめが解決しない場合は、

今の公立教育では、

保護者が、自発的に動いて、

いじめを解決していく必要があります。

 

学校に任せても仕方ありません。

 

以下では、保護者の方が、いじめ問題を解決する場合の

具体的な方法と、覚悟について、私なりの説明していきます。

 

私の独善的な意見なので、使えるところだけ使ってください。

1.いじめを交通事故と同じように扱う 

保護者が、子どものいじめ解決するために戦うなら、

いじめ問題を、あくまでも利害関係として扱うようにして下さい。

 

イメージしやすくお話しますが、交通事故だと思って下さい。

 

交差点での追突事故みたいな接触事故です。

 

交通事故が起これば、警察に電話して、事故証明出してもらって、

後日、保険会社に連絡しますよね。

 

事故の当事者同士で、話し合うことはありません。

 

必ず、保険会社の担当者という代理人を立てて交渉します。

 

交渉が決裂すれば、裁判です。

裁判であらそうのは、事故の補償金です。

 

明確に利害関係を争うわけです。

 

 

追突事故(俗にいうオカマを掘る)であれば、

追突され被害にあった車が動いていたか停まっていたかで、

過失割合が変わり、事故の補償金が大きく変わってきます。

 

被害者の車が完全に停まっていれば

追突した加害者の過失割合が100%です。

だから車の修理代や、ムチ打ちの治療代を

加害者が全額負担することになります。

 

しかし、ここで、

「いや、追突された車も動いていて、急ブレーキをかけたから追突した」

などと、加害者が主張すれば、被害者にも責任が発生します。

 

そうなると、過失割合が変わりますし、

その割合をめぐって裁判することもあります。

 

裁判争点は、過失割合をめぐります。

 

被害者が、信号で完全停止していたと主張するなら、

警察の実況見分や目撃者の証言や、

ドライブレコーダーを証拠として提出して裁判で争うまでです。

 

何をいいたいかというと、交通事故であれば

感情的になって解決しないということです。

 

交通事故を当事者同士の感情的な口論で解決するケースはありません。

 

必ず、警察を呼んで実況見分してもらうところから始まります。

 

あとは、補償金の問題です。

 

具体的には、事故の車を修理すること、怪我の治療代、

会社を休んだ場合は休業補償。です。

被害者が、事故によって失った分の補償金をもらうことだけです。

 

通常は、その交渉は、保険会社が代理で行います。

警察が事故の実況見分して、あとは保険会社が

示談して補償金を計算します。

 

なので、

いじめの問題も、保護者が介入するなら、交通事故の解決のように

いじめを立証して解決していくしかありません。

 

いじめ問題も、利害関係の問題として解決するほうが早いです。

 

具体的にいえば、

 

いじめをなくすことはもちろんですが、

 

子どもが精神的苦痛なく学校に通い授業を受けることができる。

 

これが、いじめが解決した状態であるという認識です。

 

そのために、

 

加害者が二度と我が子をいじめないように約束する。

学校にいじめを再発させない指導を続けてもらう。

 

この2つをそれぞれ加害者とその保護者、

学校に約束してもらうことが最終目標です。

 

そこで一つ注意したいことですが、

 

交通事故によって人権侵害されたとか、

名誉を傷つけられたとか、

そういうことが争点にならないですよね。

 

 

同じように

 

いじめ問題も、人権侵害されたとか、名誉を傷つけられたとか、

ここを争点にしてしまうと、解決が長引くことになります。

 

ここは、感情的な問題だから、謝罪して許すというのが難しいのです。

加害者がどこまで謝罪すれば、許せるのかは、感情的な争点になります。

落とし所がわかりません。

 

わが子がいじめられたら、倍返し。

子どもを愛していたら、こんな気持になるのがあたりまえです。

でも、感情的なると解決が長引きます。

 

一定の、落とし所は必要です。

 

加害者の誠意のない謝罪に腹を立てて、

いじめを許さないといって、対立を長引かせると

クレーマーやモンスターペアレンツ扱いされる可能性があります。

 

加害者の謝罪は、誠意として必要ですが、

最終目標ではありません。

 

いじめをしないと約束させて、誓約書とった上でまだいじめがあったら、

民事裁判にして、損害賠償請求すればいいんです。

愛するわが子の仇で、何千万円でも請求すればいのです。

 

でも初期段階で、そんなことしないで下さい。

 

そうではなくて、

子どもが精神的苦痛なく学校に通い授業を受けることができる。

ここを最終目的にして、保護者の方は戦わないといけません。

 

ここを最終目的にすれば、学校側との戦いも有利です。

保護者として堂々と主張できるところがあります。

 

 2.保護者が子どもが教育を受ける義務を果たせないのは憲法違反

 

もうすこし、詳しく説明しますね。

 

保護者は子どもに教育を受けさせる義務があるわけです。

 

間違わないでほしいのは、

子供に教育を受ける義務があるのではありません。

 

子供が持っているのは、教育を受ける権利です。

 

保護者が子どもに受けさせなければいけないから、

義務教育です。

 

子供に、「お前が学校にいくのは義務だ」というのはおかしいのです。

日本国憲法 第二十六条 にはこうあります。

第二十六条

すべて国民は、法律の定めるところにより、

その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

○2  すべて国民は、法律の定めるところにより、

その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。

義務教育は、これを無償とする。

 

 

「子供に教育を受けさせる義務」

これは、日本国憲法の国民の三大義務のひとつです。

ということは、

 

子どもが学校に行って、理不尽ないじめにあって

精神的苦痛を受け、授業がまともに受けられないなら

 

これは、子供が、教育を受ける権利を行使できないことになります。

 

そして、

いじめにあうから、学校に行かなくていいよと

保護者が言ってしまうと、

教育を受けさせる義務を果たしていないことになります。

 

だから、

いじめによって不登校を選択すると、敗北なんです。

不登校という選択肢はないんです。

 

なぜなら、

保護者が教育を受けさせる義務を果たしてないのですから、立場が弱いんです。

 

(※注 かりに不登校になっても、そのまま、自立して

雇われるのではなく、起業して、働ける道があるなら

そのほうが、素晴らしいと思います。)

 

 

では、

子供が、教育を受ける権利を侵害されている。

保護者が子供に、教育を受けさせる義務を果たせない

その一番の責任は誰にあるか?

 

これは、いじめている加害者の子でしょうか?

 

違います。

 

これは、担任の教師をはじめとする学校側(要するに校長)の責任です。

 

なぜなら、

子供が教育を受ける権利を行使するための

あるいは、

保護者が子供に教育を受けさせる義務を果たすための

環境を、学校側が、作っていない、あるいは阻害しているから、です。

 

つまり

義務教育の現場管理責任者である学校に管理能力がない。

 

これは、憲法違反なんです。

 

実は、日本国憲法の条文は、公務員にだけ命令しているのです。

 

公務員たる教師は、保護者が子どもに教育を受けさせる義務を果たせるように

環境を整えてやらなきゃいけないです。

そうでないなら、職務怠慢で責任を問われます。

 

いじめ問題を解決しないで、証拠もあるのに隠蔽して

保護者が子どもに教育を受けさせる義務を阻害するなら、

それは明確な憲法違反です。

 

このポイントを争点に戦うべきなのです。

 

だから、いじめ問題の責任は、加害者以上に

学校も管理責任が問われるのです。

 

そもそも、

担任教師に指導力ががあれば、

クラスにいじめ問題は起こらないのです。

 

なぜいじめ問題が起きるかというと、

担任が、生徒に信頼されていないからです。

信頼されていないので、もちろん指導力もない。

 

将来への不安から暴力的になる子どもに、親身に相談に乗れるような

教育指導ができていないから、クラスでいじめが起きます。

 

子どもも、教師を信頼していないから、相談したいと思いません。

 

人間は、子どもといえども、信頼しない相手のいうことなんかきかないです。

 

だから、生徒を指導しても、いじめ問題が解決しない。

いじめが最低の行為だと教育しても、子どもがきかない。

 

担任に指導力がない。

そして、学校もいじめの解決能力がない。

だったら、その解決能力のなさごと、

管理責任として争点にして

教育委員会にまで責任を

厳しく問うていかないと

 

いじめは解決しません。

 

また、いじめのない学校にもなりません。

 

だからこそ、

 

目撃者のいない信号のない交差点で

交通事故にあったのとおなじように、

冷静に解決していくしかないです。

 

加害者の危険運転の証拠をあげて、責任を立証しながら、

 

信号のない交差点のままにしていた

行政の責任も問わなければいけません。

 

そのために、保護者の方が、やるべきことがたくさんあります。

 

たとえば、

 

子どもにICレコーダーを持たせて、いじめの証拠となる

加害者の言動を録音しなければいけません。

 

これは、ドライブレコーダーを車に搭載するのと同じことです。

 

感情的になって、いじめがあったなかったの水掛け論を繰り返すのではなく

証拠を自分で集めて、加害者の責任を、保護者が立証して下さい。

 

わが子が精神的苦痛なく学校に通い授業を受けることができるように

 

誓約書なり念書なりをつくって、二度といじめをしないこと、させないことを

加害者の親と加害者の子どもに、監督責任者である担任教師、学年主任、校長

それぞれに署名捺印にて、きちんと書面で約束させて下さい。

 

交差点で二度と事故が起こらないようにするために

信号機を設置してもらうのと同じ意味で

 

いじめのない学校を作るために管理体制を改善してもらうことを

学校や教育委員会と約束して下さい。

 

それが、保護者が子供に教育を受けさせる義務を果たすための戦いです。

また、子供が教育を受ける権利を行使するための戦いです。

 

ここを争点にしないと、正当性を主張できません。

 

面倒ですか、ここまでやれば、

他にいじめられている子供たちが何十人も助かります。

 

孤独な戦いではなくなります。

すばらしい活動です。胸を張っていいと思います。

 

 

ただ、

気をつけてほしいのは、いじめを立証しても、

加害者の子どもや親、あるいは学校に、

精神的苦痛への慰謝料や損害賠償請求などしないで下さい。

 

それは、いじめ問題とは別の問題です。

 

損害賠償や慰謝料発生するのは、

子どもが暴力振るわれて大怪我したとか

いじめを苦に自殺した場合だけです。

これは刑事事件です。

 

何度もいいますが、

 

子どもが精神的苦痛なく学校に通い授業を受けることができる。

 

ここを最終目的にして、争うべきです。

 

これの約束が破られたら、何でもやればいいです。

 

殴られたら診断書とって、刑事で告訴してもいいし、

録音したわが子への暴言もとに、民事裁判にしてもいいでしょう。

 

我が子を愛する親として、法律に従って徹底的に戦ってください。

 

3.親として、子どもを全力で守る覚悟を持つ

 

最後に、最も重要な事をお話します。

 

いじめを解決するためには、

保護者としての覚悟も問われるということです。

 

親は保護者として、子どもの安全を守らなければいけないし、

子どもの主張を信じて、子どもの代わりに戦わなければいけません。

 

教師や学校や、教育委員会、警察が相手でも

戦わないといけない。

 

自力で、証拠を集めないといけない。

 

学校や加害者の家に乗り込んでいくことも必要かもしれない。

そこで、理不尽な反論されて嫌な思いするかもしれない。

子どもにICレコーダーを買って持たせることも必要かもしれない。

探偵を雇って、いじめの証拠や

目撃証言を集めるための調査を依頼することも必要かもしれない。

弁護士に、解決を依頼する必要もあるかもしれない。

 

以上のことは、精神的にも、金銭的にも負担のかかることです。

 

しかし、証拠も集めずに

学校や教育行政のいじめ隠蔽体質や、

警察の事なかれ主義だけを

批判するのは、ある種の無責任です。

 

そういう態度で、感情的になって、学校や加害者の保護者とやりあっても

いじめがあったなかったの、不毛な水掛け論にしかならないです。

 

つらいし、怖いし、面倒だけど、自力で証拠を集めて下さい。

 

いじめの解決で最も重要なのは、親の覚悟です。

 

悲しいことに、親に覚悟が足りなくて、

結局解決できず、いじめにあっても

泣き寝入りする子どももいます。

 

面倒だから、いじめっ子に我慢して殴られ続けてくれと

子どもに頼むことができるでしょうか?

 

子どもがいじめを訴えているのに、

知らんぷりして聞こえないふりして

無視し続けるのでしょうか?

 

親が率先していじめの泣き寝入りを

助長するような無様な姿を、

子どもが見たら絶望します。

 

世の中の何もかもが信じられない大人に成長するだけです。

 

これは、本当に気の毒です。

 

保護者たるもの、子どもがいじめにあったら

世間を敵に回してまで、子どものために戦ってくれるという覚悟を、

見せてやらなければいけないのではないでしょうか?

 

自分の子供の言っていることが正しければ、

その正しさを、大人である親が、戦ってでも守りぬいてやる。

 

子どもを信頼して、安全を守る。

その覚悟が問われると思います。

 

自分の子供は自分が命がけで守る。

そういう覚悟が、行動につながり、現実を動かします。

 

保護者が、傍観者のような態度で、

学校や、加害者とやりあって、いじめが解決ができるわけがありません。

 

なめられるだけです。

 

周囲が動いて協力してくれるのは、

保護者が、勇気を持って覚悟して行動したときだけです。

 

だけど、世間の視線に恐怖を感じて、動けない場合もあると思います。

 

多くの気の弱い親が、子どもを守る覚悟がもてず、悩むのでしょう。

 

あるいは学校や加害者側の反撃で、いじめを解決できない場合もあると思います。

 

場合によっては、余計いじめにあうような状況だけ作ってしまうかもしれません。

 

だからこそ、

 

僕は、子どもがいじめられて、解決しなければ、

市議会議員なり、地元の国会議員になりに

相談することをおすすめしています。

 

教育行政なり、コミュニティーの問題は、

政治家が、解決するべきだからです。

彼らは立法の責任者です。

我々が投票して選んだ行政運営の監督者です。

 

我々の訴えを聞いて動いてくれるはずなのです。

 

政治参加というのは投票だけであはありません。

政治家に陳情することも含まれます。

 

学校や、教育委員会の管理能力のなさを

市議会や国会で問題として取り上げてもらえばいい。

 

学校や教育委員会が相手の場合は、そうやって、

政治的手段で行動するほうが精神的負担は少ないです。

 

彼らは味方になってくれます。

覚悟が持てず悩むのなら、ぜひ市議会議員や国会議員に相談して下さい。

 

担任教師がなめた態度取るなら、

「国会議員にあなたを職務怠慢で、人権侵害している公務員だと

陳情しておきますね、覚悟しておけよ」

 

と、捨て台詞残してください。

 

ブログやツイッターを開設している議員は多いでしょう。

 

学校や加害者の保護者にいじめの証拠を出しても解決しないなら

議員にメール送って、実際会いに行って相談してみて下さい。

 

極論していますが、

こんなこと実際にやる100歩手前で

いじめは解決します。

 

保護者が覚悟をもって行動したとき、

急速に問題は解決します。

 

覚悟すれば、いじめは解決するとわかったときに、

ようやく、

親として、覚悟をもって行動することの大切さを学ぶます。

また、

真剣に自分を守ろうとした親の覚悟をみたとき

その子どもも、大きな学びを得ます。

 

子どもへの親の愛が、

この世で

唯一の本当の愛だと気がつきます。

 

それが本当の教育です。

 

この意味がわからない場合は以下の文章をお読みください。

いじめ問題の本当の理由

 

ご相談あればメール下さい。







 

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