「なぜ自己重要感を感じられない人が多いのか?」 強運になる!!

前回のメルマガで

「なぜ自己重要感を感じられない人が多いのか?」

という質問をさせていただきました。

いくつか答えのメール頂きました。

 

ありがとうございます。(音声も録りました)

 
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答えは、

自己重要感を感じられない人は

 

人に自己重要感を与えていないから

 

です。

 

具体的に、説明しますね。

 

 

周囲の人を、積極的にほめたり、

周囲の人に、積極的に感謝を伝えたり

できる人は、

人に自己重要感を与えています。

 

 

ほめたり、感謝したりするというのは、難しくて

相手の立場に立って、ものごとを見ていないと

なかなか、できないことです。

 

これは、コミュニケーションにおいて

とても重要な事です。

 

 

僕の体験談を参考にご紹介します。

 

学生時代にひとりで、上野の国立博物館を観に行きました。

博物館を見終わって、出口で、僕のはるか先にいた、

白人の若者が、ドアから出ていきました。

 

平日の昼下がりなので博物館はガラガラでした。

 

僕と、その白人の青年くらいしかいなかったです。

 

 

しかし、なぜかその白人青年は、

僕のために、出口で、ドアを開けて待っていてくれました。

 

背中を向けたままでしたけど。

 

それも、10秒くらいです。

 

 

結構長い間です。

 

それに僕は、感動してしまい、お礼を言うのもしどろもどろでした。

 

その時、

 

「欧米人は、すぐ後ろの人のためだけでなく、

5メートル以上離れている後続の人のためにも、

ドアを開けて、待ってくれているんだなあと。

 

相手が、高齢者や、障がいのある人じゃなくても、

気を遣ってドアを開けて待っていてくれるんだ。

そういう習慣があって生活しているんだな」

 

というカルチャーショックを受け、感心しました。

 

それからは、僕は、ドアをあけたときは、

なるべく、後から来る人のために、

ドアを開けて待ってあげるようにしました。

 

「ドアを開けて待ってくれる」というのは

ささやかなことですが、やってもらうと、

うれしいものです。

 

 

しかし、もし、仮に、

日本人の人に、同じ事されても、

僕は、「ああ、こういう親切な人もいるんだな」

で、終わって、特に感動もなかったかもしれません。

 

 

当時の僕と、たいして年齢も変わらないような

白人青年が、やってくれたから感動したのだと思います。

 

レディーファーストという文化は、言葉では知っていましたが、

僕にまで、気を遣ってくれるその白人青年の

ホスピタリティー(思いやり)に感心したのです。

 

これは、欧米社会の習慣であって、

彼らは、誰にでもやっているのだなと思いました。

 

 

その後、ネットで読んだ記事に、同じような話題で、

「派遣社員の私のために、彼女の会社の役員の人が

ドアを開けて待っていてくれて、心遣いに感動した」

という体験を読みました。

 

「ドアを開けて待っていてくれる」

 

これだけで、自己重要感の高まって

感動する人もいます。

 

このように、「ドアを開けて待っている」という行為は、

欧米の大人のマナーとして素敵です。

 

単なるマナーですが、丁寧で美しい作法であるだけでなく、

待ってもらった人は、

「私は大切に扱われた」と感じて

自己重要感が高まります。

 

でも、それ以上に、素晴らしいことが有ります。

 

白人青年のマナーに感銘して

「ドアを開けて待っている」ことを

僕自身が実践してみて、驚いたことがあったのです。

 

それは、僕が、

「ドアを開けて待っている」を習慣にしたとき、

なぜか、今までよりも、

車いすや、松葉杖をついている方々に、

気配りできるようになったことです。

 

 

それまでは、足の不自由な人の出入りは

その店や施設のスタッフがサポートするものだと

人まかせにして、僕は、見て見ぬふりでした。

 

僕に「ドアを開けて待っている」という、

一つの習慣が身についたことで、

今度は、率先して、車いすや、松葉杖の方々を

サポートできるようになりました。

 

 

それも、偽善的だと思うことなく、

反射的にしてあげることができるようになったのです。

 

助けてあげたいという気持ちに対して

素直に行動できる自分がいたのです。

 

このことに衝撃を受けました。

 

 

もちろん周囲の人も驚いたと思います。

「あいつこんな思いやりのあるところもあったんだ」というふうに。

 

 

「ドアを開けて待っている」という習慣を実践しただけで、

周囲も目をみはるほど、僕の考え方が変わったのです。

 

「相手の立場に立ってものを見る」という習慣が、

人により多くを与える能力を、磨いてくれたのです。

 

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それは、僕が、やさしくなったということではないです。

 

 

思ったらすぐ行動できるように、考え方が変わったのです。

 

 

結果的に、僕は、もっと多くのものを、人に与えられるようになったのです。

 

 

一方で、「ドアを開けて待っている」なんて、くだらないという考えもあります。

 

 

空調が効いてるのだから、ドアを開けて待ってっても

迷惑だとか、思う人がいるかもしれません。

 

 

恥ずかしいからできないという人もいます。

 

 

ドアを開けて待っててみたけど、何回かやったけど、

別に感謝されないので

意味が無いと思ってやめたという人もいます。

 

 

こういう風に考える人が、少なからず存在します。

 

彼らは、気の毒な人生を送っていると

僕は、思います。

 

なぜならば、

社会の中で、自分の自己重要感を感じられなくて

一番、苦しんでいるのが、彼らだからです。

彼らこそが、自信を失って、毎晩悲しんでいるのです。

人になめられて、嫌な思いをして、傷ついているのです。

 

それなのに、

かたくななまでに、相手の立場に立って行動して

人の自己重要感を高めることを拒むのです。

 

 

むしろ、自分の自己重要感ばかりに執着していて

人の自己重要感に無関心です。

 

自分中心の考え方が強いのです。

要するに、自分勝手なのです。

 

 

とりわけ、社会を、効率や体面でしか見ていない人は、

残念なことに、目の前の相手の立場に立ってものを見ていません。

 

空調が効いてるから、ドアを長い時間

開けているなというのは、正論です。

 

それは、効率的には正論であって、誰の自己重要感も高めません。

 

 

恥ずかしいというのもわかります。

でも、恥ずかしいと思う心理に隠されているのは、

「他人のためにそこまでしたくない」という、思いあがりかもしれません。

 

 

「ドアを開けて待っていても、感謝されなくてやめた」というのもわかります。

そういう人は、宝くじ買って当たらないと怒る人です。

すぐに目に見えて、見返りがないと動かない、打算的な人でしょう。

 

こういう人たちが、家族や、職場で共に働く、上司や同僚だと

残念を通り越して哀しくなります。

 

特に、職場にいて、自己重要感を感じられない人は、

仕事の効率や、肩書やステータスなどの体面でしか、

物事を判断しない雰囲気の中で仕事をしています。

 

 

自己重要感を感じられないから、

他人の自己重要感を高めない。

 

そんな悪循環で、何も信じられず、

いくら仕事をしても、自己重要感が低いままの

奴隷生活を送ることを余儀なくされます。

 

(根本的な原因は、社風の問題なので、社員が自己重要感に

不満を持つケースは、経営者に責任があると僕は思います。)

 

「一緒に出てくるあなたの立場に立って、ドアを開けて待っていますよ」

このささやかな、心遣いこそが、「人の自己重要感を高める」のです。

 

これは、相手の立場に立ってものごとを見ているから、できる行動です。

 

やさしくされた相手は、自己重要感が高まるからうれしいのです。

 

ほめたり、感謝するのは

その場その場で、相手に

「あなたの言動に、共感しますよ」

「あなたの言動に、感謝を感じていますよ」

とメッセージを伝えることです。

 

 

大切なことは、適切なタイミングで、適切な言葉で

相手に伝わるように、ほめたり、感謝したりすることです。

 

「ドアを開けて待っていること」のように、

その場で、その人にしかしてあげられないことです。

 

効率や肩書とは関係ありません。

 

その場、その場で、ほめたり、感謝したりできる人は

その言動によって、「人の自己重要感を高めている」のです。

 

適切にほめたり、感謝したりすると

相手は、はにかんだような、ほんとうにうれしそうな顔になります。

 

 

なぜうれしいかというと

「この人は、こんなに私に関心を持って見てくれているんだ」

と感じて、自己重要感が高まるからです。

 

 

うれしいから、自然と笑顔があふれるのです。

 

心がポッと温かくなります。

 

 

しかし、

 

効率や体面を重視する人は、

 

・ほめたり、感謝したりする時間がもったいない。

・人間的なコミュニケーション自体が無駄。

・めんどくさい

・社風でそういうことをやらないようになっている。

・感情的にできない理由があるからできない

 

と考えてしまいます。

 

しかし、こう考える人が

 

不思議なことに、

一番、自己重要感の欠乏に苦しんでいる人なのです。

 

心がささくれてしまっているのです。

 

さて、 「なぜ自己重要感を感じていない人が多いのか?」

 

 

の答えである

 

「自己重要感を感じられない人は」

 

人の自己重要感を高めることをしていない。

 

について説明します。

 

僕は、これが答えだと断言しますが、

 

以下のような反論もあります。

 

「いや、私は周囲の人の自己重要感を高めることをやっています

でも、自己重要感が感じられない人間です」と。

 

 

こういう反論をする方に、尋ねたいことがあります。

 

人の自己重要感を高めることを

 

やってるつもりでしょうが、実際はできていないのではないですか?

 

やっているつもりでしょうが、相手に伝わっていないのではないですか?

 

深く疑って下さい。

 

 

やっているけど、効果がないと反論する方は、

 

「やってるつもりになっている」か

 

「やり方が間違っているか」の

 

その、いずれかの可能性があります。

 

「ほめる」「感謝する」を

適切なタイミングでできていなかったり

やり方も間違えているケースの場合

せっかくやっているのに、

相手の自己重要感を高めていないのです。

 

最も注意してほしいのは、

 

 

言葉は生き物だということです。

 

言葉は、生きているから、新鮮でなくてはいけません。

 

言葉は死んでいてはならないのです。

 

 

それは、どういうことか詳しく説明すると、

 

まずは、

 

相手が、ほめるべきことをしたとき、

適切なタイミングで、適切な言葉で

相手をほめていますか?

 

自分が、感謝したくなることされたとき

適切なタイミングで、適切な言葉で

相手に感謝を伝えていますか?

 

 

次に、

 

そのほめ言葉は、感謝の言葉は、

 

はたして、

相手にきちんと伝わって、相手の心に響いたのでしょうか?

 

そして、最後に

 

相手の笑顔になって返ってきているでしょうか?

 

この3つのプロセスを、しっかり確認すれば、

 

はたして、自分がほめたり、感謝したことで、

 

相手の自己重要感が高まったのかどうかがわかります。

 

 

この3つのプロセスを確認しないで、

やっているけど、効果がないと、

言いきってしまうというのは

あまりにも、軽率です。

 

 

それは、単なる善意の押し付けです。

 

 

そういう善意の押し付けは、

相手の自己重要感を高めるどころか

見返りを求める下心だと誤解されかねません。

 

 

また、もし仮に、

ほめ言葉や、感謝の言葉が、

蚊の鳴くような声で、

相手の耳に届いてなければ、

相手は気がつかないでしょう。

 

それに対して、無視されたと誤解して、傷つくかもしれません。

 

 

あるいは、

 

思い出したかのように

相手が忘れた頃に、ほめたり、感謝しても、

なんのことをほめられているか

感謝されているか、理解できず

相手は 「?」と怪訝な表情になるでしょう。

 

 

また、

 

タイミングも言葉も適切なのに、

棒読みのような口調で、ほめたり、感謝したとしたら

感情がこもっていないので、相手によろこばれません。

 

 

言葉は、生き物です。

 

 

つまり、タイミングも言葉選びも間違ったままで

ほめたり、感謝したりすると、

言葉は、無力になってしまい、相手にまったく伝わりません。

 

 

だから、相手の自己重要感を高めません。

 

 

適切なタイミングで、適切な言葉で、

相手に伝えられているか、注意して

生きた言葉をつかえるようにしましょう。

 

 

人に与えた自己重要感が、

自分の自己重要感として返ってこないのは

やってるつもりでも、できていないことが多いです。

 

だからやらなくてもいいではありません。

 

結果が出ないのは、やり方がまちがっているだけなのです。

 

「相手にしっかり伝わっているか? 自己重要感を高めているか?」

 

ここをよく振り返って点検してみることをおすすめします。

 

 

相手を、ほめたり、感謝したりした言葉が、

しっかり相手に伝わって、心に響いて、相手の笑顔を導いたとき

その言動が、はじめて「人の自己重要感を高める」のです。

 

 

人は与えたものしか受け取れません。

 

 

 

与えた気になっていても、

相手が受け取り損ねれば、

与えてないのと同じです。

 

 

結果的に与えていないものを、返せというのが、

間違いであることは、おわかりになると思います。

 

自己重要感を感じられなくて悩んでいる人は、

 

まず、人の自己重要感を高めることをして下さい。

 

注意してほしいのは、

きちんと、相手に伝わっているか確認することです。

 

 

そのプロセスは、

 

「相手の立場に立ってものを見る」ことに、はじまり、

適切なタイミングで、適切な言葉によって伝えたことが

相手の心しっかり伝わってに、笑顔を引き出したときにおわります。

 

難しいことではありません。

 

ポイントは「丁寧に」やることです。

 

あなたが、ドアを開けて待ってあげたときに、

やりかたが、間違っていなければ、よほどの事情がない限りは

待ってあげた相手の方の感謝の笑顔に出会います。

 

 

その笑顔に出会わなかったら、

ドアの開け方が間違っているのです。

 

3センチくらいしか、ドアが開いてなかったら

あとから来た人は、自分で開けたと思うから

あなたが、開けて待っていた意味がありません。

 

 

やったつもりのあなたが、ドアの前で立っていて

じっと、相手の顔を見ていたら、

不愉快な表情になるかもしれません。

 

それは伝わっていなかったのです。

 

 

それに対して、「私は、ドアを開けて待っていたのに・・・」と

傷つくのは間違っています。

 

だから、やり方を間違えてはいけないのです

 

 

 

 

ドアを開けていれば、人の自己重要感は高まるんだというのを

丁寧に行ってみて、体験してみて下さい。

 

 

この習慣が、巡り巡って自分の自己重要感を高めます。

 

 

第三者が、あなたのその姿に、感心して、

あなたが与えたものは、その第三者から受けとるかもしれません。

 

これが、運のメカニズムなのです。

この因果関係が複雑なのは、

 

受け取るのは、あなたではなくて

あなたの家族かもしれないことです。

 

いままであなたが、

人に自己重要感を与えて、生きてこなくても

なぜか、自己重要感が高かったとします。

 

なぜ、そんなことが起こるのでしょう?

 

それは、

 

あなたの両親や祖父母が、人に与えた自己重要感を

あなたが受け取っているケースがあります。

 

ここを自覚して、ひとつ謙虚になって?

ご家族に感謝してください。

(別に入念に先祖供養しろという話ではないです)

 

いつも、最後まで読んでくれてありがとうございます♪

 

 

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