「運命」と「宿命」の違い 自分の知らない「宿命的役割」について

「運命」と「宿命」の違いってわかりますか?

漠然と考えたんですが、

「運命」は、変えられるもの。

「宿命」は、変えられないもの。

 

ではないかなあと思いました。

 

たとえば、「運命に翻弄される」とか、「運命の出会い」とかいいますよね。

 

 

運命というのは、「運」に関わるものです。

 

 

時代の流れや、社会の変化、人間の思いつき、気まぐれなど

 

いろいろな要素によって、どんどん変わると思います。

 

 

それに対して、

「宿命」は、予め決められているものです。

 

 

親とか、生まれてくる境遇とか、才能や能力の限界などが「宿命」です。

 

 

「運命」と「宿命」の違いをもう少し、わかりやすく説明すれば、

 

一般人の人生ですが

 

これは「運命」に左右されるので、

 

努力や、時代の流れや、誰かの援助などで

 

変えられるし、自分自身の選択の余地があるわけです。

 

 

 

でも、

スポーツ選手やアーティストなど、才能だけで勝負するような

 

人たちは宿命で生きていると思います。

 

 

つまり自分の努力や運気ではどうしようもない部分があって

 

与えられた天分で、人生が決まってしまうということです。

 

 

 

歌舞伎役者なんか、

 

その家に生まれれば、選択の余地なく歌舞伎役者になりますよね。

 

 

 

それが「宿命」の代表例です。

 

自分で変えられる余地のあるものが「運命」

自分で変えられる余地のないものが「宿命」

 

 

しかしながら、

 

「運命」と「宿命」の明確な、

 

区切りはどこにあるのか

 

はっきりは、わからないです。

 

 

哲学的な解説をすれば、

「運命」は、絶対的なものだから内面化できる

 

「宿命」は、相対的な関係の絶対性だから、内面化できない

 

こういう難しい言い方をします。

 

西欧では、イエス・キリストは神なのかどうか議論があって

 

4世紀に、三位一体(神とイエス・キリストと聖霊がひとつのセットで「神」あること)

 

が、ニケーア公会議で決まっています。

 

 

その三位一体を哲学的に学んでとわかったことがあります。

 

イエス・キリストの存在を考えたときに、

 

「運命」と「宿命」の意味の違いが、以下のように出てきます。

 

 

「神としてのキリスト」は、絶対的なものだから内面化できる

「人間としてのイエス」は、相対的な関係の絶対性だから、内面化できない

 

こういう説明がされうるのですね。

 

「神としてのキリストの意志」は、人間が勝手に作り変えることができます。

 

 

 

絶対的だから人間の心の中で勝手な解釈がききます。

人間の心の中で勝手に解釈することを「内面化」といいます。

 

 

 

それに比べて

 

「人間であったイエスが、実は神だった」というのは、

 

人間の解釈では、どうしようもない客観的な歴史的事実です。

 

 

「イエスという男が、実は神であった」というのは「内面化できない」のです。

 

キリスト教徒が勝手に解釈して変えてはいけない部分です。

 

 

つまり、もう少し詳しくいえば、

「キリストとしての神の意志」は、「運命」ですね。

 

 

人間の解釈でどうでも変えられます。

 

 

「隣人愛」の隣人の範囲は、解釈で勝手に変えられます。

 

 

異教徒は、隣人ではないから殺していいというへ理屈も成り立ちます。

 

 

 

それに対して、

人間イエスが、実は、神であったことは、「宿命」です。

 

 

人間の解釈ではどうしようもない歴史的事実です。

 

 

だから、キリスト教徒は、「イエスは、人間ではなく、神だ」と信じています。

(一部宗派を除く)

 

 

(ただ、イスラム教徒は、「イエスは、神ではなく預言者だ」といいます。)

 

 

だから、

自分で変えられる余地のある解釈が「運命」

 

自分で変えられる余地のない事実が「宿命」

 

こういうことになると思います。

 

 

なんでこんな話をしたかというと、

みなさんは、自分の職業は、

はたして「運命」で選ばれたのか

 

「宿命」で与えられたのか?

 

どっちなんだという問題で悩まないですか?

 

 

僕は、悩むんですけどね。

 

 

イチロー選手や、美空ひばりさんや、海老蔵さんなど、

 

才能が関わる職業の人は、

 

「宿命」で、その職業に選ばれているんだと思います。

 

 

理由はないですが、そう感じさせます。だから宿命です。

 

 

あるいは、「天職」です。

でもその他の職業は「運命」だと思います。

サラリーマンなら、転職できる余地があります。

 

 

サラリーマンやめて、ボランティアで生きるのも「運命」です。

 

 

自分で選んでいますからね。

大体の人の職業は、「運命」で決まったものだと思います。

 

 

海老蔵さんが、これから歌舞伎を廃業して、

 

プロレスラーになることは

 

ないと思います。

 

 

それが彼の「宿命」です。

 

関取が廃業してちゃんこ屋になるのは「運命」です。

 

 

こう考えると、「宿命」を生きる人は、限られているような気がします。

「ああ、自分は『宿命』を生きられない」

多くの人は、悲しくなるかもしれません。

 

 

「宿命を生きるための才能がない」と

ため息を付くかもしれません。

 

 

「女子アナになりたいけど、声が、水川あさみさんみたいにハスキーだ」

 

 

という理由で挫折して、女優を目指す女子大生もいると思います 笑

 

 

 

でも、私は、みんなささやかながら、

 

 

「宿命」があるんじゃないかなあと思います。

 

 

「宿命」というと大げさですが、

 

自分にフィットした「宿命的役割」ですね。

 

自分にしかできないこと
~~~~~~~~~~~

 

 

このくらいの「宿命」はあるのではないでしょうか?

これはなんでもいいんですけどね。

 

 

「我が子を愛する」でも

 

「彼氏/彼女を気持よくする」でも

 

「ある人に優しくする」でも

 

「ある人を明るくする」でも

 

まあ、なんでもいいんですけど、

その人しかできない

ツボにはまった「宿命的役割」というものが、

 

 

誰でもあるとおもいます。

 

その「宿命的役割」が、人の役に立つものであればいいですよね。

役に立たないと、まあ、ちょっと切ないですけど。

「めったに笑わなかった太郎くんが、鈴木さんにだけは、笑顔を見せる」

とか、

一般化できないような、「宿命的な役割」が

 

誰にでも、何かがきっとあるとおもいます。

 

 

 

この「宿命的役割」を、再三言いますが

「相対的な関係の絶対性」

と哲学用語ではいいます。

 

 

イエスにとっては神であることが、宿命的役割だったのです。

 

 

海老蔵にとっては歌舞伎役者になることが、宿命的役割であるように。

なんとなくわかっていただけましたでしょうか。

 

 

われわれ普通の人は「神であったイエス」にはなれませんが、

偶然にも、誰かにとっての

 

神のようにありがたい人

 

あるいは

 

ヒーローくらいには、

 

なれるかもしれません。

 

川で溺れている子を、たまたま通りがかりに、助けた近所のおじさんみたいな感じです。

 

 

ミルチルの「HERO」って曲思い出しますね。

 

 

 

EXILE ATSUSHIの「You’re my “HERO”」でもいいですけど。

自分にしかできないこと

 

 

これは「ある/なし」ではなくて、

探さないと、見つからないこともあるとおもいます。

 

 

人から指摘されて気がつくケースもあるかもしれません。

 

 

「宿命的役割」って、あんがい、ありふれているかもしれません。
自分で変えられない性格的欠点やコンプレックスが、

 

誰かにとっての希望や救いになることもあるとおもいます。

 

 

それも、「宿命的役割」です。

 

にほんブログ村 その他趣味ブログ 運気・運勢へ

強運になるためのメルマガです!!

自己重要感を高めるコラムセミナーのご案内

読書習慣マスタープログラムのご案内

Twitter「強運になるための方法」

Facebookページ「強運になるための方法」

YouTubeチャンネル「強運になるための方法」

強運になるショップ

ココナラからご相談したい方はこちら

sponsered link

コメントを残す