与えるという行為は、自分の生命力の表現

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エーリッヒ・フロムという心理学者の書いた

『愛するということ』(紀伊國屋書店刊)に

「愛を与えること」について良い説明があったので

シェアします。

(引用はじめ)

愛は能動的な活動であり、

受動的な感情ではない。

 

そのなかに「落ちる」ものではなく、

「みずから踏み込む」ものである。

 

愛の能動的な性格を、わかりやすい言葉にすれば、

愛は何よりも与えることであり、もらうことではない。

ということができよう。

 

与えるとはどういうことか。

 

この疑問にたいする答えは単純そうに思われるが、

じつはきわめて曖昧で複雑である。

 

一番広く浸透している誤解は、

 

与えるとは、

 

何かを「あきらめること」

剥ぎ取られること、

犠牲にすること

 

という思い込みである。

 

 

性格が、受け取り、利用し、貯めこむといった段階から

抜け出していない人は

与えるという行為をそんな風に受けとめている。

 

 

商人的な性格の人はよろこんで与える。

 

 

ただしそれは見返りがあるときだけである。

 

 

彼にとって、与えても見返りがないというのは騙(だま)されるということである。

 

 

基本的に生産的な性格の人は、

与えることは貧しくなることだと感じている。

 

 

そのためこのタイプの人はたいてい人に与えることをいやがる。

 

与えることは犠牲を払う事だから美徳である、

と考えている人もいる。

 

 

そうした人たちに言わせると、

与えることは苦痛だからこそ与えなければならないのだ。

 

 

彼らによれば、犠牲を甘んじて受け入れる行為にこそ、

与えることの美徳があるのだ。

 

 

彼らにとっては、もらうより与える方がよいという規範は、

喜びを味わうより剥奪に堪えるほうが良いという意味なのだ。

 

 

生産的な性格の人にとっては、与えることは全く違った意味を持つ。

与えることは、自分のもてる力の最も高度な表現なのである。

 

 

与えるというまさにその行為を通じて、

私は自分の力、富、権力を実感する。

 

 

この生命力と権力の高まりに、私は喜びをおぼえる。

私は、自然が生命にあふれ、惜しみなく消費し、いきいきとしているのを実感し、

それゆえに喜びをおぼえる。

 

与えることはもらうことよりも喜ばしい。

 

それは剥ぎ取られるからではなく、

与えるという行為が自分の生命力の表現だからである。

 

(引用終わり)

 

 

続いて男女関係や親子の関係が述べられているので、

文脈があります。

 

 

単に、お金を気前良く与えることや、

セックスで愛を確認するというのは

愛の表現ではないそうです。

 

 

『与えるという行為が自分の生命力の表現だからである。』

この生命力の表現を「愛を与える」ことで洗練させるプロセスが

「愛する技術」を学ぶことだと

フロムは述べています。

 

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