議論をしていると感情的になってしまう人

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意見が食い違えば、議論になりますが、

日本人は、議論が苦手です。

 

なまじ、言葉がなくても、意思疎通ができてしまう

同調圧力の強い社会なので、

意見を主張して、議論を戦わせる文化がありません。

言わずとも察して分かり合えるのは

「和をもってと尊しとなす」で結構です。

 

阿吽(あうん)の呼吸で伝わる便利なところもあるのですが、

ひとたび、議論を始めると、ついつい感情的になって、

支離滅裂になり、議論の落とし所が見つからなくなります。

議論というのは、相手に勝つためにするものではなく、

 自分の弱点や誤りを明確にするためにするものです。

 

議論を戦わせることで、自分の意見の盲点(もうてん)が見えてきます。

盲点を洗い出す作業が、議論なのであって、

お互いの我慢してきた鬱積(うっせき)を

ぶつけあうのが、議論なのではありません。

 

議論は、自分の意見の骨格を鍛えるためにするものと思えば、

いたずらに感情的にならなくて済みます。

 

ディベートというのがありますが、

あれは、相手を説得する弁論術です。

 

ディベートは、もともとは、

異教徒を説伏して、自分の信じる神を信じさせるために

発達したキリスト教の神学をベースとしています。

 

これは、宗教勢力の覇権をめぐるパワーゲームです。

 

説得は、他人の思想や価値観への干渉を含みます。

 

一方、議論はパワーゲームではありません。

議論は、お互いの意見の、誤りや弱点を指摘しあって、

さらに建設的な枠組みを作る材料をみつけることです。

 

つまりは、視点やアイディアや切り口の交換です。

 

感情的になって言い合うのが議論では、ありません。

 

また、

同じ財布のお金の使い道やルールを話し合うのは議論ですが。

別々の財布の金を、賠償額の分配において話し合うのは裁判です。

 

お互いの財布のお金の絡むことを、議論するのも

間違っています。

 

お金の賠償には、お互いの過失割合が関わってきます。

 

それは事実と法律に基づいて第三者が決めることです。

権利を主張しあって、賠償金を求めるなら、

 

議論しても無駄です。

 

第三者の判決を求めるしかありません。

 

そのために裁判所があります。

 

 

ここでいう議論は、

我々が日々生活している

職場や家庭での言い争いです。

 

我々の議論は、どうしてもパワーゲームになります。

 

お互いが、自分の意見の正しさを主張しあって譲りません。

 

それゆえ、意地と意地とがぶつかり合い、パワーゲームになりがちです。

気の弱い人は、考えただけでうんざりです。

 

相手を言い負かすのが議論だという思い込みがあります。

大声出したほうが勝ちみたいになります。

 

だから、議論をしたくないというのが

多くのおとなしい日本人の本音です。

 

議論は、お互いのルールのすり寄せがなければ、

パワーゲームになってしまいます。

 

相手を言い負かすための不毛な言い争いのパワーゲームというのは、

お互いの人格否定にたどりついて、いやな、後味を残します。

 

そうならないために、パワーゲームを避けて、

不愉快に感じながらも、いままでどおりの

なおかつ最善とも思えない慣習に我慢して従います。

 

「事を荒立てないのが、大人の態度である」となってしまいます。

 

これが結局、日本社会の同調圧力の根本にある考え方です。

 

こんな社会は、息苦しいですが、

結局、議論してもらちがあかない。

議論しだすと、冷静に話し合えない。

 

そのため黙って、不満を鬱積したままやりすごす。

 

そのせいで、職場も家庭も、どんよりする。

 

「はぁ」とため息もでるし、無気力感も味わいます。

 

逆に言えば、

擦り寄せるほどの明確なルールが

お互いの心の中に存在していないいうことです。

 

「指摘すれば、うるさくいわれるから、仕方なくだまっている。」

それが多くの不幸の原因です。

 

また、つまらない非難中傷の温床となります。

 

はっきり言わないで、足を引っ張り合う、というやつです。

私たちのする多くの議論は、ルールがないので

 

世間の常識をたてに

自分勝手な価値観や考えを

押し付け合うかたちになってしまいます。

 

そして、感情的に高ぶってくると

 

人格批判しあう展開になります。

 

「だってそれが常識でしょ、あなたには常識がないよ」

 

「どういう教育受けてきたんだよ」

 

「人間性を疑うよ」

 

「どの法律に書いてあるんだよ」

 

「そんなこというの恥ずかしいと思わないの」

 

「うるさいよ、お前に言われる筋合いないよ」

 

などなど

ヒートアップしてくると

こんな感じで、強い言葉で、相手を否定しあいます。

落とし所がないので、時間の無駄になります。

 

不愉快な気分も1週間は続くでしょう。

 

みなさんにおかれましては、

 

家族の議論が、パワーゲームになっていないでしょうか?

 

友人との議論が、パワーゲームになっていないでしょうか?

 

ここを注意しないと、感情的に遺恨(いこん)を残します。

 

議論をパワーゲームにして

力でねじ伏せると、いくら相手が子どもでも、

深い恨みになって残ります。

 

いい大人が口答えする子どもを、糺(ただ)すために殴る場合

因果を含めて殴らないと、しつけにはなりません。

 

ルールを持たない大人に殴られるケースは、しつけでなくて、虐待です。

 

大人同士の議論も、

お互い、自分にルールがなければ、

議論しても、なんの生産性もありません。

 

落とし所としての、ルールのすり寄せや、価値観の共有がないからです。

 

人格を中傷をしあうだけです。

自分勝手を押し通すために、議論するわけではありません。

 

パワーゲームのために言論の自由が保障されているわけでもありません。

 

自分のルールに弱点や誤りがないかを確認するために議論はあるのです。

 

人格を否定しあうためにあるのではありません。

 

相手を屈服させて服従させるためにあるのでもありません。

 

 

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