さみしさからの自暴自棄に堪える方法

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私が読書を真剣にし始めたのは、

大学浪人して、事情があって独り暮らしした時からでした。

 

友達もいない街で、ひとりで1年暮らしていましたが、

ほとんどさみしいと思ったことはありませんでした。

ほとんどだれともしゃべらず、1年過ごしたので、

 

大学に入って、人としゃべったとき、すぐ十二指腸潰瘍になりました。

あまりに、人としゃべっていなかったので、

会話が、ストレスになったようです。

 

さみしいと思わなかったのは、読書していたからです。

 

受験勉強も放ったらかしで、読書していました。

(おかげで、みるみる成績が落ちました。)

 

読書を重ねる度に、自分の中で言葉にならなかった

モヤモヤした感情が、言葉に置き換わっていくのを感じました。

 

自分の感情が、客観的にわかるようになったのです。

 

ただ、客観的にわかっても、コントロールすることはできません。

自分の心はわかっても、相手の心はわからないです。

 

相手の心がわからない以上は、相手の心に左右される

自分の心をコントロールできっこありません。

 

恋愛感情は、まさしくコントロール不可能な感情の塊です。

相手のあることだからです。

(そんなことで悩んで、人を傷つけた青春時代もあります 遠い目)

 

さみしさというのはやっかないもので、

さみしさに駆られると、人は、普段とらないような行動に出ます。

 

お金の無駄使いとか、やけ食いとか、やけ酒とか、やけ薬とか

怒り狂ってわめきまくるとか、手首を切ったり、過食嘔吐などなど

 

いろいろあると思いますが、

さみしさというのは、自暴自棄に繋がりやすい感情です。

 

なぜそうなるかというと、

自分の気持ちを、誰かに理解・共感してほしいというのもあるし、

自分の存在を認めてほしいというのもあるし、

自分で自分の感情をコントロールできない、わからないという理由もあります。

 

さみしさが、我慢の限界を超えると、自暴自棄な行動で表現されるケースが多いです。

 

そんな自暴自棄を防ぐ方法がひとつだけあります。

 

それは、読書することです。

 

読書するというのは、自分のさみしい感情を

理解して整理して、コントロールするために

もっとも役に立つ行動だとおもいます。

 

さみしい気持ちは、すべて、すでに誰かが言葉で表現してくれています。

 

読書をすることで、同じことで悩んでいる仲間を見つけられます。

そこで慰められたり、さみしさを克服する心構えを学んだりできます。

社会に落ちこぼれる人の仲間は、文学者の中に沢山います。

 

まあ、私も、社会への適応性が、いまいちないので、

多くの文学者に励まされ、慰められ今日まで、無事に生きてきました。

 

現実の社会で理解されなくても、ことさら悲観しなくなりました。

 

さみしいとも思いません。

 

まあ、こんなもんかと思います。それ以上悩みません。

 

ローマ皇帝だったマルクス・アウレリウスという人がいますが、

その人は皇帝でありながら哲学者でした。

 

彼は日記に『独立心を保つこと、僥倖(ぎょうこう)を頼まぬこと』

 

と書いています。

権力の最高位にいても、孤独であることの重要性と、

いたずらに運に頼らない冷静さを忘れなかったということです。

 

ローマ皇帝にして、そういう質素な暮らしぶりです。

 

だったら、今の人間も、本当に幸せな人は

質素な暮らしぶりなんです。

 

しあわせは、人間の心の中にしかないものですから。

 

それから、一般的な、成功や、普通の人の暮らしへの憧れなども

自分とは無関係だと思うようになりました。

 

今ここで、自分がしあわせなら、しあわせであるだろうし、

それについて、「お前は、しあわせじゃない」などと

人から干渉される筋合いもないと思っています。

 

だれかと比べて、どうだということを考えだすときりがないです。

 

ただ、こういう自分でありたいという欲求はあります。

存在欲求というものです。それは自己実現欲求です。(マズローの欲求5段階説)

 

人の役に立ちたいとか、読んで納得してもらえる文章を書きたいとか、

聴いてよろこんでもらえる音声を録りたいとか、いろいろな欲求はあります。

 

 

社会に出て、尊敬できるような立派な人にあって、

一緒に働けるのであれば、それはたくさん学びがあるし、幸せなことだと思います。

 

でも、大半の人は、社会に出たって、たいして立派な人にあわないし、

世間の薄情さばかり感じて、傷ついて、ふてくされて自分勝手な生き方に

流されていってしまいます。

 

そしてときどき、さみしさに押しつぶされて、自暴自棄な行動をとってしまいます。

 

僕は、さみしさを感じる人にこそ、読書をおすすめしたいです。

 

読書する中で、立派な起業家や、哲学者、文学者、宗教家と

対話して学ぶことができます。

 

そこには、自分が悩んでいる全く同じことが、

しっかりした言葉で表現されて、解説されています。

 

それを読めば、自分が、我慢できないさみしさの正体が見えます。

 

だれも教えてくれなかった、悩みの原因を

誰かが教えてくれるのです。

 

読書しない人に、限って、

「自分の悩みはだれとも共有できない、特別なもの」

と信じたがるのですが、

人間の悩みのパターンはそれほどレパートリーはありません。

 

さみしいという感情の原因も、何百種類に分類されているわけではありません。

 

悩みには、傲慢(ごうまん)さが隠れています。

 

自分の悩みは、自分の子供のようにかわいいものです。

 

理解されない悩みというのは、アイデンティティー(自分であることの証明)になります。

 

でも、そんなわけないです。

世界でひとつの特別な悩みがもてるほど、人間は恵まれてはいません。

 

そう簡単に、普通の人は、悲劇のヒーロー/ヒロインになれません。

読書して自分の悩みの原因を深堀りすれば、

 

自分の悩みが、ありふれた愚かなものであること。

さみしさは、だいたいがプライドの裏返しであること、あるいはプライドの欠如であること。

 

そういったことを、いずれ謙虚に悟ります。

 

悟って素直になれば、悩みもさみしさも、深刻なものではなくなります。

 

問題なのは、

悩みやさみしさを、自分の言葉できちんと説明できない

コミュニケーション能力の不足に無自覚なことです。

 

コミュニケーション能力が足りなくて、悩みやさみしさを言葉で表現できないのに

それを他人に理解して、共感してほしいというのが、そもそも間違いです。

 

そこにある、傲慢(ごうまん)さに気がつくべきでしょう。

読書は、究極のコミュニケーションです。

 

書いてあることを読めない人、理解しようとしない人が、

人の話を聞いて理解できるわけがありません。

 

人のことを理解しようとしないのに、

自分のことだけ理解してほしいというのもおかしな話です。

 

そういうわがままに気がつかない人がいかに多いことか。

 

身勝手な生き方を矯正してくれるところにこそ、読書の効用があります。

 

本は、中古で良ければ、

アマゾンなどでずいぶん安く手に入るので、タダ同然でいろいろ学べます。

 

(さすがにいい本は、中古で売っていないし、高いですけど)

 

さみしさが、たえがたいという人には、読書をおすすめします。

読書をするのがめんどくさいという人は、

人の話を聞くのがめんどくさいといっているのと一緒です。

 

それは、コミュニケーションを拒否しているのとかわりありません。

めんどくさいのなら

悩んでいるとか、さみしいとか、主張する権利もないでしょう。

 

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