反省について (鏡と写真の話)

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今日は、鼻毛と鏡と写真の話をします。

この話は、柄谷行人という
日本では有名な文芸評論家の人が
講演会で話していた話です。

『反省』って言葉ありますね。

 

自分の言動を客観的に振り返って
過ちがなかったか、検証することです。

よく、裁判で、

「申し訳なかった。反省している」と

被告が応えるシーンがあります。

 

「罪を犯した自覚がなかったが、留置場に入れられて、
自分のやった行動をよくよく振り返ると、

人に迷惑をかけたことに、気がついた。
悪かったことに気がついた」

 

これが、「反省している」の意味だと思います。

要するに『反省』というのは

後から、『自分の言動の非に気がつく』ということなんですね。

仏教には『八正道』というのがあります。

お釈迦様は、座禅を組んでいますが、
あれは瞑想しているのではなく、
自分の行いを『八正道』という反省のメソッドで
振り返っているのです。

『八正道』については今日は説明しません。

で、柄谷行人が言っているのは、
『反省』というのは,
鏡を見ることによって得られる『反省』と
写真を見ることで得られる『反省』があって、
この2つは、全然、質が違うということでした。

 

この話きいて納得したのですが、彼いわく、

鏡というのは、都合いい部分しか映さないそうです。

鏡に写った自分というのは、予想できるイメージの範囲での
自分しか映っていないし、そういうイメージしか見ていない。

自分ひとりで反省するというのは、
結局は、自分の都合のいいように反省しているだけで
自分について本当に気がつくことのはないというのです。

しかし、写真は、自分が見たくない自分の姿まで映っている。

だから、写真に映ったみっともない自分の姿は衝撃です。

深刻な気づきを与えてくれます。

 

 

例えばですね。

鏡を見ていても「鼻毛」が出ていないので、

鼻毛を処理していなかったとします。

しかし、友達が撮って送ってくれた

FacebookのTLの自分のアップの写真には、

 

バッチリ鼻毛が

 

 

「こんにちは」

 

 

していた。

 

こういうことありますよね。

鏡からは見えない角度から、鼻毛が飛び出している。

あるんですよ。

 

(特に、自分の場合は鼻の頭の裏の部分。

気づいてあわてて抜くと目から火花が出ます。)

 

これを鏡と写真の『視差』といいます。

 

鼻毛が出ているの写真の姿が、本当の姿です。

 

鏡で見ている、鼻毛の出ていない自分の顔は、

一面的な視点からしか見られていない姿ということです。

 

 

で、ですね。

多くの人は、鏡に写った姿が自分だと思って生きています。

 

 

そしてたまに、自分の知らない間に撮影された

自分の映った写真を見て、愕然とします。

「え? これが自分?? 」

それで、恥ずかしくなって友達に、

「こんな鼻毛ボーボーでみっともなく写ちゃって」と言い訳しますが、

友達は「?」だと思います。

 

 

 

「(なにいってんだろう、いつもどおりのお前だよ)」

 

 

と内心思っているかもしれません。

 

「いつも鼻毛ボーボーなのが、お前だよ。(気づいてないの)」

ということです。

(みんな、あえて注意しないのですね。人に関心ないから 笑)

 

よく「反省しました」というのですが、
自分ひとりで一生懸命反省しても、
それは、鏡に映った自分の姿を見ているだけで、
一面的な反省でしかありせん。

 

本当の反省というのは、

「え?」と愕然とするような気づきです。

受け入れたくないショッキングな体験です。

鼻毛のボーボーの姿で、はや20年という事実に

気がつくということです。

客観的に反省するというのは、

「すみません、鼻毛ボーボーでした。気づいてませんでした。」

と認めることです。

写真というのは、鏡と違った破壊力があるのです。

(他人の撮った動画は、なおさらですね。)

 

今はプリクラですら、補正が効きまくっています。

見たい自分のイメージしかみない傾向が強いです。

 

お互いに見たい自分のイメージで、プリクラ撮って

仲間意識を確認する。

 

それはそれで、別にいいのですが、

自分がわかっていないというのは、

「反省のない生き方」です。

 

 

「鼻毛ボーボーなのにあえて気がつかない生き方」です。

客観的な自分の姿がわかるというのは、

「鼻毛ボーボーですよ、写真に映ってますよ」と

通りすがりの他人に教えてもらって気づくことです。

顔から火の出るような恥ずかしい体験です。

 

これがほんとうの意味での『反省』です。

(近代人の『反省』は写真とともに生まれたと柄谷行人は、いっています。)

 

自分のイメージする自分のなかで生きるには、

これ何も見ないで、引きこもるしかないんですね。

 

それか、自覚のない「痛さ」のまま突っ走るか。

 

どっちかです。

 

鏡の国に生きるのは、客観的な自分を見ない生き方です。

これはこれで、今は幸せなのかもわからないですが、

成長はないですね。

 

鼻毛がボーボーに出てても指摘しづらい人格に仕上がります。

 

また、鼻毛を指摘されて、怒り出すひともいます。

もしかしたら、認めたくないので、全力で否定され、

指摘してくれたしに、キレるかもしれません。

 

鼻毛ではなくて「つけま」だと強弁されるかもしれません。

 

鼻毛が生えやすい特殊な体質だと言い訳され泣かれるかもしれません。

 

パワハラ/セクハラで、労働調停になるかもしれません。

 

 

いずれにせよ一悶着です。

 

でもこれだけ写真がありふれた世の中になると、

いやおうなく自分の鼻毛に気がつきます。

見てみないふりして生きることもできます。

 

気づかないふりして生きるという選択です。

 

これ打たれ弱くなる気がしますけど。

 

 

鼻毛ボーボーに映った写真を

一枚財布に忍ばせて、

強く生きる。

 

こっちのほうが、味気ないけど現実的です。

これは一貫性があると思うし、

人に左右されないで、逆境を堪える力があると思います。

 

そんなお話でした。
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