禍福はあざなえる縄のごとし

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『禍福はあざなえる縄のごとし』

 
ということわざがあります。
『災いと幸福は表裏一体で、まるでより合わせた縄のようにかわるがわるやって来るものだ。

不幸だと思ったことが幸福に転じたり、幸福だと思っていたことが不幸に転じたりする。』
という意味です。

私は『目の前の現実に振り回されるな』というのを

自分に言い聞かせて、生きるようにしています。

 

長いスパンでものごとを考えて行動しないと

人間は、何やってもうまくいかないのではないか?
最近、そういうことを、しきりに考えます。

 

短絡的な考え方で生きていると、苦しいです。

 

うまくいかない現実に、凹んだり

 

ちょっと腹を立てただけで、人に八つ当りしたり、

相手の立場も考えないで自分勝手なことして、

人にうとんじられたり、嫌われたり。

ついついこういうことになってしまいます。
短絡的な考え方で
感情に任せて生きていると、
マイナスの積み重ねが、多くなります。

 
確かに、感情に任せて生きれば、その場は、ハッピーかもしれません。

 
わがままは通せば通るし、愚痴や悪口も口にすればその場はスッキリします。
しかしながら、それは、結局マイナスを積み重ねていることにほかなりません。

 

マイナスが積み重なって、周囲が受け止めきれないほどになり

周囲の「おもいやり」や「理解・共感」という堤防が決壊すれば、

自分のわがままや、愚痴や悪口は、

結局は、人間関係を決定的に壊す要因になります。

 

コミュニケーションが苦手だとか、

人間関係がうまくいかないという人は、
上手い下手の能力の問題というよりも、

決定的にやってはいけないことを

実は、知らず知らずにやってしまって、

周囲との間にある堤防を壊してしまっている可能性があると思います。
でも、多くの人が自分のことを棚に上げて

人のせいにして済ませます。

 

そうなるといつまでたっても、

 

『目の前の現実に振り回される人生』です。
そして、孤独に追い詰められて、どんどん悲しい思いをします。
もちろん、悔しい思いもします。

 

どこかで、その悲しさや、悔しさを、切断しないと、

目の前の現実に振り回されて、湧き上がる、それらの感情が

まるで亡霊のように、とり憑ついて

長い人生ずっと、苦しい思いをします。

 

苦しい思いは、人を孤独の淵に追い込みます。

 

しかし、

 

人が、孤独に悩むのは、孤独が怖いからです。

 
長いスパンで物事考えて生きていくには、
結局、孤独である自分を、受け入れて、

 

自分で自分を励まして、なだめすかして、生きていくしかありません。
いずれにせよ、人は、ひとりで死にます。
死ぬときは、誰もが、孤独です。

 

誰かと心中したって、

 

死の体験は個人的な孤独な

 

自分ひとりだけの体験です。

 

孤独から逃れられないのです。

 

死ぬ間際まで、目の前の現実に振り回されることは

 

逃れられない孤独から、何とか逃げようとするむなしい努力です。

 

この努力は、やはり、辛いことはないのではないでしょうか?
人は、孤独に死ぬ運命にあるということが、しっかり自覚できてこそ、

ようやく長いスパンで、自分の人生を

 

いかに生きるか計画をたてることができます。
そして、身近な誰かに、自然と感謝できるようになります。
『目の前の現実に振り回される』ことがなくなったとき、

今ここに存在して、生かされていることのありがたさが

ふわっと、心に染みます。

 

幸せも、不幸も、人の頭のなかにあるだけです。
客観的に存在しているわけではありません。

 

人によっては、『目の前の現実=借金』かもしれません。

『目の前の現実=家族の無理解』かもしれません。

『目の前の現実=老後の不安』かもしれません。

『目の前の現実=他人と比べてみじめな自分』かもしれません。

たくさんの固定観念に縛られて、人は生きています。

 
その固定観念のすべてを解くことはできませんが、

目の前の現実に振り回されるのは、

固定観念に縛られているからなのです。

 

自分を縛っている縄によって、

幸せを感じたり、不幸を感じているだけです。
それは、感じる自分の頭の中だけの問題です。

 

そのうえ、結構な数で、人を幸せにしたいとか、

不幸にしたくないとか、他人のことまで

心配する、おせっかいな人もいます。

 

いくら心配しても、幸せも不幸も、それぞれの人の頭のなかにしかないのだから

人を幸せにしたり不幸から救ったりするのは、できない相談です。
本来なら無理です。

 

自分と同じ頭の中身にすれば、相手も同じ幸せを感じるでしょうが、

そういう人に限って、なぜか皮肉なことに、頭の中身は不幸でいっぱいです。

 

だからといって、人のために何かするというのが、無駄だという意味ではありません。

 
人のためにやった方がいいし、

人の役に立つのは大切なことに

決まっていますが、

人、一人にできることには限界があります。
限界があるのだから、ここまでやる、ここからはやらないと

 

しっかり決めてやればいいだけの話です。

 

やった結果が、うまくいったら喜べばいいし、

 

うまくいかなかったら、そういうこともあるだろうと

 

忘れればいいだけの話です。

 
できなかったことや、失敗して気分が悪かったことを

何度も思い出して、いつまでも感情的になるのは、

『目の前の現実に振り回される』ことです。

 

毎回、失敗するわけでもないし、

 

タイミングによってはうまくいくこともあります。
最初から、できないこともあるでしょう。

 

長いスパンで考えて、取り組むのだったら、

さっさと忘れて、気長にやっていくしかありません。

 

報われないまま、終わるかもしれませんが、

それだって、現実に振り回された考え方でしかないのです。

 

他にできることがなければ、どっちみちやらなければいけないし、

うまくいっていてもどこかで、行き詰まることもあります。

 

目の前の現実に振り回されている人の頭のなかで起こっている、

 

もろもろのことは、

 

他人には不思議と、わりとよく見えています。
怖いものです。
目の前の現実に振り回されず、黙々と取り組んでいる人は、

 

そんなにたくさんいません。

 
現実に振り回されて、ぐるぐるしている人が世の中の大半です。

 

その2種類の人たちを、分類しながら、観察して

生きていけば、もっと違った世界が見えてきます。

 

みんなで、現実に振り回されてぐるぐるまわっているのも

案外、気安めになるのかもしれません。

 

秋は、孤独を感じてさみしくなりますね。

 

孤独をじっくり味わって、自分の死ぬ日のことでも想像してみましょう。

 

さみしさひとしおです。

 

まあ、辛気臭いこと書きましたけど、

 

今の日本は、本当に曲がり角です。
(もちろん、曲がり角だと思わない人もいます。)

 

私は、年金とか、少子高齢化とか、これからどうなっちゃうんだろう?

 

と心配ですが
一方で、「なるようにしかならない」と観念しています。

 

俺が心配したって、俺のこと以外はどうしようもないだろう。

 

なはは。

 

というわけで、人の力で、何とか出来る部分は、

 

自分自身のことと、身の回りのほんの少しだけです。

 

だから、『禍福はあざなえる縄のごとし』にしかならないのです。
目の前の現実に振り回されても、仕方ないと思って
私が、あまり気にしないようにしているのは、
それ故なのであります。

 

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