自己責任とはなにか?

『自己責任論』という言葉がある。

いつから頻繁につかわれだかわからないが、

元々は、金融商品(株、先物取引)を購入して、損を出しても

商品を販売した証券会社に損害賠償を請求できないという

ことから始まった言葉である。

その後、海外の外務省が退避勧告を出している危険な場所に

自らの意志で渡航して、誘拐・拉致されたときに、

『自己責任論』が、とりあげられるようになった。

 

しかし、そもそも、私が不思議なのは、

人間が、自分自身で責任を取るのは可能なのかということである。

 

金融商品を買って、損したというようなケースで

自己破産ができないというのは、自己責任である。

 

金銭的な自己責任は、免責事由があり、生きている限り

債務から逃げられないことになるが、

いったい、海外で拉致誘拐されて、法外な身代金を請求された場合

どこまでが自己責任なのだろうか?

 

企業に在籍している場合は、その企業の責任をとわれるから、

自己責任は問われず、会社の責任になる。

その場合は、最高でも、会社の全資産による有限責任であろう。

 

しかし、フリーランスや自営業の場合は、

自己責任というと、本人の全資産だけである。

本人に資産がなければ、責任の取りようがない。

家族や、親族が、出来る範囲で資産を差し出すくらいしかない。

しかし、連帯保証人でないのだから、本人に変わって

身代金を用意する筋合いもない。

 

だから、本人が払えない場合は、親族が用意できる以上の身代金は工面しようがない。

 

そうなると、国が税金から身代金を出すか、

あるいは、身代金の要求を拒否するしかない。

 

一般に、『自己責任』ということで済まされる場合は、

「自業自得だ」という意味合いなのだと思うが、

では、どこまでが、「自業」としてとわれるのだろうか?

 

お金で片付く問題は、自業自得で済まされるが、

身代金が用意できない場合は、殺害すると言われている場合は

はたして殺されることが自業自得だというのだろうか?

 

それは、殺す側に責任がないと言っているのと同じことだ。

 

殺す側の責任を問わずに、すべてを自己責任ととらえるのは、

これは、殺されても泣き寝入りしろと言っているのと変わりない。

 

では仮に、夜道でOLが誘拐されて、暴行されて殺された場合

それも自己責任なのだろうか?

 

危険の度合いの違いこそあれ、全て自己責任で

夜道を歩いていたことに非があることで済まされるのだろうか?

 

女性をさらって、暴行して殺した者達の責任は問われないのだろうか?

 

お金で換算できる範囲にしか自己責任はない。

 

自分で責任をとれる範囲外のことに、自己責任をもちだすことは

これは、想像力の貧しい、見せしめを是とするような考え方だ。

 

自己というのは、そのなかに社会での関係も含んでいる。

自己が自己であるためには、他人との関係を前提としている。

 

無人島に住んでいて、誰とも交渉がない

動物のような生活形態ならば、全て自己責任だが、

日本に住んでいる以上は、必ず、誰かと関係があり、

その関係の中で、自己が自己として浮かび上がってくる。

 

『自己責任論』を主張する人は、

ある日、もしかすると自分の同じような立場に

追い込まれるかもしれないという

想像力を欠いている。

 

「自己責任だから、死んでも自業自得だろう」

こういうことを、言える人は、身近な人にも

そういう残酷なことを言うだろう。

 

そうやって人を裁くものは、自分も裁かれる日が来る。

 

死んだって、責任はなくならない。

 

政治問題になった場合は、国家を巻き込んでいるから

個人で責任をとれる範囲を超えてしまっている。

 

そもそも、どうやって個人が国際問題の責任をとれるのだろうか?

個人が死んで、その後は、国際問題が解決するだろうか?

死んでも責任を取れない場合は、どうするのだろう。

親族や関係者を責め立てて、責任を追求し続けるのだろうか?

 

そもそも、政治問題になった時点で、『自己責任論』の枠組みを逸脱している。

OLが不用意に夜道をひとりで歩いていたのとはわけが違う。

すでに国家間の問題である。『自己責任』ではすまない。
 

『自己責任論』は、誰ともつながりを持てない想像力の欠けた人間が

溢れかえっていることを証明する言葉である。

 

政治問題を、個人の問題にすり替えているだけである。

 

もちろん、人に迷惑をかけないというのは、常識である。

それは、言わずもがなのことであるから常識だ。

 

だが、不注意で、迷惑をかけてしまうこともある。

そして、本人が責任をとれず、親族も責任をとれず

最終的に国家に責任をとってもらうことしかできないケースもある。

 

そこまで追い込まれた人たちに、

部外者である人たちが「自己責任だから死ね」と

平気で口にする雰囲気の社会であるならば、

その社会は、人間の暮らす社会ではない。

 

責任を取れないものを、見殺しにして恥じない弱肉強食の社会である。

そんな社会を野放しにする国家は、無秩序そのものである。

 

人の命を、金に換算して量ることになんの違和感もない

畜生道に堕した地獄である。

 

人類が築き上げた叡智を、自ら捨て去っていることになる。

 

どう考えても、人間の自己というものは、

自分自身で負いきれないほどの責任を抱えて生きている。

 

自己責任で、死ねばすべての責任が終わると考えるの『自己責任論』は、

その自己に関わった周囲の因果関係のなかにある責任を、覆い隠してしまう。

その因果関係には、親族や、監督官庁だけでなく、当然、国家まで含まれる。

 

『自己責任論』には、責任転嫁のための巧妙な罠が仕掛けられている。

 

そこには政治的な問題に関する欺瞞が隠されている。

 
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