コラム 『自分探し』

『自分探し』

直接的な人間というものは、自分自身を知っていない、
彼は自己自身を全く上着だけで知っているにすぎない。
自分のもっている自己というものをただ外面性だけで認識しているのである。

(キルケゴール 『死に至る病』より)

本当の自分を探して、放浪の旅にでる。習い事に励む。自己啓発にハマる。

今のままの自分から抜け出したくて、『自分探し』をしている。
(いい年して、『自分探し』を続けている人、あなたの身近にいませんか?)

しかし、キルケゴールは、見抜いていた。

『自分探し』が好きな人は、

自分の人格を、リカちゃん人形のように着せ替えできるものだと勘違いしている。

そして、キルケゴールは断言した。

着せ替え人形みたいな人格は、ただの俗物だと。

 

どんなに自分を探しても、人間は、別の人間になることはできない。

リカちゃん人形が、バービー人形になれないのと同じことだ。

 

リカちゃん人形の着せ替えのように、自分を着せ替えて

何かが変わると信じている俗物がいる。

 

俗物は、別の人間になることを強く願う。

 

不可能なのに。

 

俗物は、ずっと『自分探し』を続ける。

 

 

俗物としての人間は、決して、自分以外の何かにはなれないのに。

 

 

そして、俗物は、ついに自己を知らないまま死を迎える。

 

その俗物は、結局は、望んでいたような、別の何者かにはなれずに死ぬだろう。

 

だが、その俗物の精神は、ずっと前から死んでいたのである。

 

 

実現しない可能性に望みをかけて『自分探し』を続けるのは

危機的な精神状態である。

 

若いころは、自分の未来を、希望や不安で着せ替えて、あそんでいた。

青春時代が終われば、過去の思い出を、美しく着せ替える楽しみが加わる。

 

俗物の衣替えは忙しい。

 

その忙しさの果てに、俗物は最期を迎える。

 

皮肉なことに、その俗物はおのれの人生に

ある満足を感じていたかもしれない。

 

 

それは、たくさん着せ替えできたというささやかな満足である。

 

「人よりいろいろ経験できた。だから充実していた」と。

 

無邪気である。ゆえに絶望的だ。

 

自分は自分にしかなれないというのがいちばんの絶望だ。

その絶望を真正面から引き受けることで

人は、ようやく自己になれるのだ。

 

着せ替え人形ではない、生身の人間は

あまねく絶望的なのだ。

 

俗物は絶望を知らない。死ぬまで絶望に気がつかない。

(終わり)

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