コラム 『真面目とユーモア』

『真面目とユーモア』

ロシアの文豪ドストエフスキーに『罪と罰』という小説がある。
ラスコーリニコフという貧乏な青年が主人公だ。

彼は、貧困から売春で一家の生計を立てる少女を気の毒に思い、
なけなしのお金を与えてしまうほどやさしい。
腹をすかせながら、腐りきったロシアの社会を救済しよう真面目に考えた。
やさしくて真面目な男である。

やがて、彼は、「一つの罪は百の善行で償われる」という信念を抱いた。

強欲な金貸しに強盗に押し入り、その財産を奪って貧困家庭に配るという
犯罪を計画し、ほんとうに金貸しの老婆を斧で殴って殺してしまう。

しかし、犯行後、罪悪感にもがき苦しんで、奪った金は隠したままだった。

こんなストーリーである。

ところで、

私は、真面目な人間が、あまり好きではない。

なぜ好きではないかというと、
真面目な人は、ユーモアがないからである。

で、なぜユーモアがないかというと、やはり真面目な人は、傲慢だからだ。
真面目な人は、どうしても真面目さを人に押し付ける鬱陶しさがある。

ただ、どこかの宗教に入っていて、真面目だという人は、それは、まだ許せる。
当人が、謙虚でなくて、独善的でも、

「ああ、宗教的なあれだからやっているんだな」で

理解できるからだ。

子供の伝記シリーズでお馴染みのシュバイツァーという偉人がいる。
彼は、アフリカの僻地で医療に従事してノーベル平和賞を受賞した。
彼は、いくら教育しても衛生観念が発達しなくて赤痢になる現地人に向かって

「こんな野蛮人の医師になるとは、俺は、なんて馬鹿なんだろう」と嘆いたという。

すると、彼の黒人の助手は

「あなたは、大馬鹿者です。しかし、天国ではそうではありません」

と、冷静にツッコミをいれた。

鶏小屋を改造した赤道直下の医務室で、彼らは毎日こんなやり取りを繰り返していた。
シュバイツァーは、医者になる前はプロテスタントの牧師で神学博士だった。

真面目で傲慢だと独善的にうつる。ユーモアがないと、鬱陶しい。

(終わり)

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