コラム 『白い犬』

西欧の全寮制中高一貫校を指す、ギムナジウムという言葉がある。

これは、古代ギリシアのキュノザルケスという神殿に由来する。

 

そこにキュニコス派という哲学グループが生まれた。

キュノザルケスというのは、「白い犬」という意味だ。

故事がある。

ある男が、神殿に捧げる供物を抱えて歩いていたら、一つ落とした。

それを白い犬が咥えて逃げたので、郊外まで追っかけて行くと、

ヘラクレスの神託が下って、「そこに神殿を立てろ」と告げた。

この神殿が、のちにキュノザルケスとなったのだという。

 

キュニコス派の哲学の真髄は、「無為自然=なすがまま」である。

 

その「キュニコス」が由来となり「シニカル」という言葉が生まれた。

「シニカル」の意味は、

「冷笑的、皮肉屋」ということになっているが、

本来は、「自然なすがまま」くらいの意味である。

 

「君はシニカルだね」というと、「君は皮肉屋だね」というより

本来の意味から言えば、

「君は、傍観者として、自然にまかせているね」

こんなニュアンスで理解したほうがいいと思う。

 

「実るほどに頭を垂れる稲穂かな」

 

日本では、偉くなるほど、謙虚であることが美徳になる。

謙虚というのは、

「決してでしゃばらず、なりゆきにまかせ、傍観的である」

という態度に徹することである。

 

謙虚に微笑みをたたえていても、目が笑っていない偉い人がいる。

シニカルにもみえる。スキがないので油断ならない。

人に緊張感を与える。ブレがなく、盤石だ。

 

「自己主張が美徳」のアメリカにおいては、

「謙虚は美徳にならない」という。

しかし、過剰な自己主張も、

シニカルに割りきったものであるなら

それは手の込んだ大人の態度であると思う。

後腐れも少ない。

 

アメリカ人の初対面にたいする満面の笑みには、

シニカルに徹した強さがある。

 

謙虚になれなくともシニカルには徹したい。

 

そのために、こころに白い犬を飼おう。

その白いワンちゃんに、渦巻くさまざまな思いを

たらふく食わせれば、なすがままの眠りをむさぼるだろう。

(終わり)

コメントを残す