コラム 『罪と罰 神の摂理 リザヴェータ』

「神の摂理 リザヴェータ」

『旧約聖書 創世記 第22章』に「イサクの燔祭」というエピソードがある。

 

それはこういう話だ。

 

敬虔なアブラハムという男が、不妊で苦しむ年老いた妻、サラとの間に

イサクという名の男の子をもうけた。

しかし、神が、なんとその待望の一人息子イサクを、

信仰の証として生け贄に捧げるように試練(ため)したのだ。

 

アブラハムは、神の要求とあらば、とイサクを連れて山に入る。

 

「火と薪はあるのに燔祭の羊は何処にあるのですか?」と

イサクは父アブラハムに尋ねた。

 

アブラハムは、「神が備えてくださるだろう」と答えた。

 

祭壇を築き、イサクをその上に縛り付け、ナイフでまさに屠ろうとしたとき、

「やめなさい。今こそ私は君が神を畏れる者だと知った」と神の声がした。

 

すると偶然にも、牡羊がやぶに角を引っ掛けて立ち往生しているのが

アブラハムの目に入ったので、

彼は、イサクのかわりに、牡羊を燔祭に捧げ、信仰の証を立てたのであった。

 

信仰の深いアブラハムが言った「神が備えてくださるだろう」という言葉は

「神の摂理(プロヴィデンス)」の語源となった。

 

神への信仰を試されるような、極限状態においてキリスト教徒は

必ず、神があらかじめ用意して下さった答えを手に入れる。

 

これが「神の摂理」なのだ。

 

ラスコーリニコフか金貸しの老婆を殺すついでに、

リザヴェータというおとなしい女を殺してしまった。

 

その後、ソーニャが、リザヴェータの信仰仲間であったことを知り、

彼は、自分が救済すべきか弱い人間を、

偶然にも惨殺してしまったことに気がついた。

 

リザヴェータの存在は、彼にとってまさしく「神の摂理」であった。

 

非凡人には「一つの殺人は百の善行で償われる」と信じた彼だが、

その傲慢を諌めるように、神は、

彼のためにリザヴェータを「燔祭の羊」として、あらかじめ用意したのだ。

 

 

「神の摂理」のもとによみがえった信仰心によって、

ラスコーリニコフの醜い思想は、打ち砕かれた。

 

そして紆余曲折を経て、シベリアへとつづく、

ソーニャとの新しい生活へと導かれたのだった。

(終わり)

 

 

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