コラム 『罪と罰 リザヴェータの福音書』

『リザヴェータの福音書』

 

リザヴェータは、信心深い女だった。

 

お人好しゆえに高利貸しを営む義理の姉に利用され、こきつかわれている。

器量は十人並なのだが、身持ちが悪いという噂がつきまとった。

 

働き者でつつましいが、知恵がないので、周囲に小馬鹿にされている。

いつもびくびくおびえて、いじけて生きているなんの価値もない女に見えた。

 

そんな彼女は、なんの罪もないのに

たまたま自宅に予定より早く帰宅したために、

強盗現場でラスコーリニコフに鉢合わせして

狼狽した彼によって、斧で頭を叩き割られて死んでしまう。

 

彼女の一生は特筆すべきなにごともないものだが、

結果的に、親友であったソーニャとその家族を救うきっかけとなった。

 

 

彼女の信心は、彼女の人生には報いなかったが、

彼女の周囲の人たちに働きかける不思議な力があった。

 

リザヴェータは、ソーニャにロシア語訳の福音書をプレゼントした。

そして、忙しい生活の中で、福音書をソーニャに読んでもらうのを楽しみとしていた。

 

社会の片隅に押しやられた気の毒なふたりは

福音書を頼みにして、地獄のようなこの世を耐え忍んでいたのだ。

 

 

そんなことを世間の人は知らないし、おそらく興味もない。

ラスコーリニコフからすれば、リザヴェータは、凡人中の凡人だ。

 

 

だから、ラスコーリニコフは、彼女を殺しても罪悪感を覚えなかった。

 

人類の材料たる凡人には、いくらでも代わりがいる。

 

彼女を偶然殺めても、それは人類の救済のためにはやむを得ない。

 

確かに、リザヴェータはなんの取り柄もない凡人だった。

 

しかし、彼女を殺したことによって、ラスコーリニコフとソーニャと間には

切っても切れない関係が生まれた。

 

 

信心深かったリザヴェータの十字架は、今はソーニャの首にかけられている。

そしてソーニャの十字架は、ラスコーリニコフにプレゼントされた。

 

彼はそれを持って警察に自首して、懲役を受け、罪を償った。

 

リザヴェータがソーニャにプレゼントした福音書は、いまは、彼の手元にある。

信仰をめぐって不思議な因果が生まれたのだ。

 

(終わり)

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