コラム 『カナの婚礼』 

ヨハネの福音書の第二章に『カナの婚礼』という逸話がある。

イエスが最初に起こした奇蹟だ。貧しい人の婚礼に呼ばれたイエスが、宴席のぶどう酒が足りなくなったのを知って、水甕の水をぶどう酒に変える奇蹟を起こした。宴会長は、「誰でも初めに良いぶどう酒を出して、酔いが回った頃、悪いぶどう酒を出すものだが、あなたはよく今まで良い酒をとっておいた」と感心する。貧しい人の宴席なので、ぶどう酒が足りなくなれば、雰囲気が悪くなる。もっとも、あとで、悪いぶどう酒を出しても、悪酔いして暴れる客が出てくるだろう。人は恥をかきたくないから、見栄を張ってでも披露宴では、なるたけいいお酒を振る舞いたいのが人情だ。でも、貧しければそうはいかない。イエスが奇蹟を起こさなかったら、カナの婚礼は、きっとみじめで、殺伐とした雰囲気だったろうに。せっかく招いた客は、怒りだして、帰ってしまうだろう。我々だって宴席のビールが足りなくなったり、生ぬるかったりすれば、主催者側にブーブー文句を言いたくなる。おめでたい席に、客として招かれて、不愉快な思いをすることは古今東西問わず起こりうる。また、旅先で嫌な思いをしたり、楽しみにしていたイベントでケンカに巻き込まれたり、と、意に反して不愉快な目にあうこともある。期待した分だけ、悲しく感じる。貧しさをうらむのは、喜びを裏切られたときだ。『カラマーゾフの兄弟』の第七編には、夢で『カナの婚礼』に招かれた主人公アリョーシャの姿が描かれている。招かれた客は、かつて善行を積んだ者ばかりだった。足りなくなれば、惜しみなくイエスは、ぶどう酒を振る舞ってくれる。新しい客は次々と招かれる。招かれた客は、幸せな気持ちで、新郎新婦を祝福する。その場は、普段の確執を忘れて、赦し合い、心から婚礼を祝福するのである。新しいぶどう酒は、新しい器で運ばれてくる。この世は、つかの間、楽園になる。やがて永遠になる。乾杯の声と祝福は、青空に吸い込まれていく。

(終わり)

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