コラム 『おしまいの人間』 

『ツァラトゥストラはこう言った』というニーチェの哲学書に、『人間は、動物と超人との間に張りわたされた一本の綱なのだ』という有名な言葉がある。人間は自分のために生きているのではない。誰かがわたっていく綱であり、移り行きであり、没落なのだ。超人たらんとする人間にふさわしいのは、綱から落ちて、落下して、大地にたたきつけられ、木っ端微塵になることだ。いつかこの大地が、超人のものになるように、人間は、大地の意義に身を捧げるのだ。だから、破滅を恐れてはいけない。没落を実践するために、ツァラトゥストラ(40歳・無職・独身)は、山を下りて、『おしまいの人間』の群れに飛び込んでいく。『おしまいの人間』というのは、要するに、嘘つき人間たちである。いいわけと、自己正当化だけで生きていて、自己欺瞞の強い人間である。『おしまいの人間』は、口ではもっともらしいことを言うが、なにも実践しない。無責任な傍観者として、パンとサーカスを求めている。被害者を装いながら、つねに加害者を擁護する。『おしまいの人間』は、貧しくもなく、富んでもいないが、自分の権利に醜くしがみつく。だらだら残業をして、仕事をしているふりをする。善くて正しい人の堕落を求め、出る杭は打つ。バカにされてもヘラヘラ笑っている。嫉妬と愚痴と悪口が大好物で、他人を貶めるたびに太ってゆく。人の話は聞かないが、自分の話も聞いてもらえない。たまに毒を飲んで、気持ちのいい夢を見ようとする。祈るべき場所で溜息をつく。泣き落としで人を操作する。嘘をつきながら、弱々しくまばたきをする。『おしまいの人間』は極めて不愉快で、不気味な存在である。つまり、楽しくない大人である。『おしまいの人間』は一粒の麦のまま、地に落ちるが、一粒の麦として死ねない。ゴミ屋敷の産廃のように堆積する。しかし、超人は、地に落ちて、一粒の麦として死ぬ。破滅して大地の糧になる。きれいな根性で死ぬ。やがてその一粒は、豊かな実をつけ、未来の全人類を正当化する。

 

(終わり)

 
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