コラム 『自分の家だけが被害にあった』

熊本で地震にあって避難している子どもへのカウンセリングの様子をニュースで見た。

地震後、不安で一晩中泣いていた男の子は、その晩の記憶が欠落していた。家が壊れたことに、強いショックをうけ、とにかく忘れようとするそうだ。カウンセラーは、地震直後の出来事を思い出させて、言葉にして表現させる治療を行っていた。そうしないと、恐怖によって欠落した記憶が、いつでもフラッシュバックして、PTSD(心的外傷後ストレス障害 しんてきがいしょうごストレスしょうがい)になってしまうという。人は強いショックをうけると、回避行動にでるそうだ。恐怖から逃げるために、精神の機能の一部を自ら麻痺させるのだ。ショック体験を、思い出さないようにして、必死で忘れようとする。とにかくごまかし、なかったことにしようとするのだ。この小学生は、なんと『自分の家だけが被害にあった』という強い思い込みにとらわれていた。子どもは、被害を客観的に理解することができないので、自分の家族だけが理不尽な被害にあったのだと信じこんでしまう。そうして、背負いきれない困難を、ひとりきりで抱え込んでしまったのだ。子どもは、漫画の主人公に感情移入するのと、同じように、容易に、地震という悲劇の主人公になりきってしまう。なぜかといえば、子どもは言葉で自分の体験を表現するすべを持たないからだ。体験を一人で抱え込んで、大人からすれば、飛躍しすぎた物語をでっちあげ、自分のショックを、なんとか合理化しようとするのだ。だから、カウンセラーは、絵を書かせながら、粘り強く子どもと向かい合い、地震当日の出来事を時系列で子どもに整理して、語らせ、彼らの記憶の回復をうながしていた。客観的に自分の体験したことを言葉にできて理解できれば、恐怖の原因を冷静に見つめなおすことができる。哲学者のニーチェは『すべてのウソは恐怖からはじまる』と言ったが、恐怖を回避するために自分にウソをつくと、思考能力が麻痺して、無気力や倦怠感(けんたいかん)にとらわれてしまう。これは、一種の自己欺瞞である。恐怖を回避するために、思考が空回りする。焦燥感(しょうそうかん)と無気力に、頭を支配されてしまう。ショックを自分の言葉で説明しようという意欲が生まれれば、精神の回復は、はじまっている。

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