コラム 『席を譲ろうとしたら「ふざけるな」と怒鳴られてしまった』

朝日新聞の投書欄に『バスで席を譲ろうとしたら「ふざけるな」と怒鳴られてしまった』という高校生の投稿があって話題となった。結論から言えば、善意がすべての人に受け入れられるわけではない。バスや電車など公共の乗り物では、『立っている』のが最も道徳的だ。最初から立っていれば、誰にも席を譲る必要はない。「譲る」「譲らない」で頭を悩ませる必要もない。善意の押しつけを迷惑だと思う心の狭い人がいることは、事実である。「どんなに空いているバス(電車)でも、自分は立っている。」これが、最も道徳的な行為である。他人が座れる可能性を少しでも増やす。その可能性の追求にこそ、道徳が存在するという手応えがある。「良心」というのは、皆が持ち合わせているわけではない。飛び込み自殺の現場に、興味本位でスマホを向ける人もいる。隣りにいる人間に「良心」があるかどうかは、うかがい知れない。席を譲られても怒鳴るような老人が、公共の乗り物に乗っているというのは、悲しいけれども事実である。たくさんの人がたくさんの事情を抱えて、それぞれの人生を過ごしているのが、この現実社会である。大切なのは、自分が道徳的であり続けることだ。『徳は孤ならず必ず隣あり』と孔子は言ったが、そう信じて、バスや電車の中で立ち続けるしかない。良心というのは人類の可能性に関わっている。現実社会で、自分の良心が受け入れられることを期待すれば、むなしい。自分が良心的でありたいというやむをえない衝動から実践された、見返りを期待しない行為こそが、道徳的なのである。もし、怒鳴られたことを気に病んで、やめてしまえば、見返りを期待していたことを自ら証明してしまう。

(終わり)

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