コラム 「夏目漱石の『こころ』の先生は自己欺瞞の塊である」

夏目漱石の『こころ』の先生は自己欺瞞の塊である。

読者は、先生を誠実な人だと信じたいが、どうも、言っていることがおかしい。まず、先生が叔父さんにだまされたとは、本当なのか? そこを客観的に証言する人がいない。Kは、養子先や実家との軋轢を、先生にすべて話しているのに、先生は、叔父さんにだまされたことについて、Kに話していない。先生とKは上京して3年ほど一緒に暮らしていて『Kと私は何でもはなしえある中』(下・29)だといいながら、実は、一度だってKと本心を話し合っていない。先生はKを親友だと信じているが、Kは先生のことを、どこか冷めた目で見ていたのだろう。Kは、先生が自己欺瞞の塊だと途中で気がついたのだ。なぜ、先生が、本当はお嬢さんのことを好きなのを隠したまま、『精神的に向上心のないものは、馬鹿だ』と責めるのか? Kは、苦々しく思っていたに違いない。『近頃は熟睡できるのか』(下・43)と先生に尋ねたKの言外には『お前は卑怯だ』(下・42)という皮肉が混じっている。先生がお嬢さんと結婚することを下宿の奥さんに告げられたとき、Kは『そうですか』とただ一言答えて、驚きもしなかったところにも、この裏切りを予想していたKの悲しい洞察力が現れている。Kの遺書の末尾に、余った墨で書かれた『もっと早く死ぬべきなのに何故今までいきていたのだろう』という意味の独白は、先生の自己欺瞞に対するKの精一杯の復讐である。宛名を先生にした遺書なのに、この文句だけが、独り言なのである。ここには、『お前は卑怯だ』と、先生に悟らせるための罠が仕掛けてある。遺書に残したKの自問自答は、先生もシェアすべき、自問自答である。「お前も俺と同じく早く死ぬべき自己欺瞞の塊の人間だ」と、この自問自答は、先生を苦しめはじめた。Kは、自分が自己欺瞞の強い人間だと自覚すればこそ、『道』をめざした。しかし、先生は、最期まで自己欺瞞に奥さんや学生を巻き込みながら『道』を踏み外し、あまりに人間らしく頓死したのである。

(終わり)

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