コラム 「トイレと理性」

あるテレビ番組で成功した社長の特集をしていた。

都内で小売店を経営している敏腕社長が、毎朝自宅のトイレを素手で掃除していた。

 

確かに、素手で雑巾を便器の中に入れて、丁寧に磨いていた。

 

素手でトイレ掃除すると成功するという成功法則があり、実践しているのだ。

 

トイレ掃除は、謙虚さを身につけるのに、効果があるという。

 

話は変わるが、ネコというのは、トイレをしつけなくても、

部屋においた砂のトレイに自然とするという。

 

一方、人間の赤ちゃんはトイレを自分でできない。

 

一説によると、赤ちゃんがうんちを排泄するとき感じる解放感は、

大人が貯めたお金を、浪費する解放感に似ているそうである。

 

他所のトイレをつかって汚れたままにして恥じないとのは、

人からの借金で無駄遣いして、身勝手な解放感を感じて、

返済できなくなって、人に迷惑をかけるのと同じことなのかもしれない。

 

人間も、動物の一種である。

 

ネコには自然にトイレの始末が出来て、人間に赤ちゃんには出来ないというのは

不思議な逆転現象である。

 

人間はトイレを学ばなければできない。

 

人間にとっては、トイレは本能の発露ではなく、文化的な営みなのである。

 

成功した社長が、素手でトイレを磨くのは、

成功しても、自分が動物の一種であるというのを

忘れないための戒めのような気がした。

 

 

ある程度お金ができれば、どうしても心に傲慢さがめばえる。

 

傲慢さは、やがて、自分の力だけで成功したという慢心や、

自分だけが儲かればいいというエゴを育てる温床になる。

 

いくら成功者を装っても、人間はトイレを欠かせない。

 

本能に突き動かされながら、同時に理性をもっているという矛盾こそが、

人間を人間たらしめる厄介な特徴である。

 

素手でトイレを掃除するという理不尽さは、理性の働きを強化する。

 

なぜなら、謙虚になるというのは、理性の働きが不可欠だからだ。

 

ネコが傲慢なのは、理性がないからだ。

 

トイレは、人間が理性の働きを学ぶ教室であり

 

人間は、一生トイレで学び続けるのだ。

 

(終わり)

雑記

コラム 「罪と罰 ポルフィーリ」

「あなたは老婆を殺しただけだから、まだよかった。

もし別な理論でも考えだしていたら、

下手をすると、まだまだ千万倍も醜悪なことをしでかしていたかもしれません!

これでも、神に感謝しなきゃいけないのかもしれませんよ」

 

金貸し老婆の殺人事件を調査していた予審判事ポルフィーリは、

彼が真犯人と確信しているラスコーリニコフにこう語り、自首を促す。

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雑記

コラム 「社会正義の花咲く場所」

『この20年間、全世界で所得が上がったのは、2つのグループしかない。

1%の富裕層と、あとは、中国人である。』

 

と外国の金融コラムで読んで驚いた。

 

日本にも、一億総中流とよばれた時代が、セピア色の思い出になり

15歳以下の6人に1人が貧困だという厳しい現実が目の前にある。

 

『ミドルクラスの崩壊』は世界中の先進諸国で起こっている。

格差社会は、日本一国だけではなく世界の構造的な問題である。

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雑記

コラム 「罪と罰 カテリーナ」

ソーニャの継母であるカテリーナは、とにかく潔癖症である。

パンの耳すら買えない極貧生活の中でも、毎日の洗濯を欠かさない。

潔癖であることが、彼女の最後の自尊心であるかのようである。

 

結核を患っているので、からだじゅう振り絞って咳き込み

青白い顔に、赤い斑点が浮かび上がる。

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雑記